年末年始の祖父との思い出
私がまだ小さい頃、12月31日には父方の祖父が、正月は私の家で過ごすために毎年遊びに来るのが恒例でした。
祖父はとても達筆で、年末に来る祖父に読み書きを教わるのがとても楽しみでした。
祖父は裕福ではない家だったので市販のノートではなく、新聞広告を何枚か重ね、
糸で縫ったノートを自作して、それを持ってきてくれていました。
そのノートに色んな字を見本で祖父が書き、その字を真似て私が書く。
そして私の書いた文字に、祖父が花丸を付けてくれる。
これが楽しくて、その時だけでは飽き足らず、字を教わるための文通を何年も続けていました。
今思うと何とも地味で貧乏くさい(言葉悪い)遊びだろうと思います。
ですが、今ならそれが祖父にとっても楽しみだったのだろうと分かります。
そして、そのお陰で私は習字を習わずとも、字を上手に書けるようになりました。
私が小学4年生の年末、祖父に一緒に寝るか?と聞かれ、
毎年嫌だと断っていたのですが、何故かその時はこれが最後になる気がして、
祖父と一緒に布団で寝ました。
私のことを可愛がってくれた祖父と一緒に寝てあげられるのは、これが最後の気がして・・・。
その年の春に祖父の胃癌が分かり、家族で東京まで行った時、一時退院できた日に家族で外食をしました。
祖父は独身の叔父さん(父の兄)と二人暮らしなので、外食をしたのですが、
祖父はバナナを食べていました。
祖父が初めてバナナを食べた時に、こんな美味しいものがあるのか!と感動したことがあったそうです。
そんな話をしてくれながらバナナを食べ、久々にビールを飲んだ祖父が
「あ~、美味しい」と言った姿が今でも忘れられません。
それが祖父と会った最後になりました。
大晦日の独り占め
そして、年末の楽しみがもう一つありました。
大晦日は遅くまで起きていても怒られない特別な日でした。
それは、日付が変わった1日の夜中に、除夜の鐘を聞きながら初詣に行くのが我が家の恒例でした。
恒例とは言っても、夜中に行けるのは、私が起きていられたらの話です。
妹はまだ小さいのでいつも通りの時間に寝てしまいます。
なので、妹を見ているために祖父はお留守番をしています。
その夜中の初詣は両親と私と3人で行くのです。
私は両親を独り占めできるような気がして、嬉しくてしょうがなかったのです。
その時だけは私だけのお父さんとお母さん。
寝ている妹には内緒の特別な日だったのです。
そして、夜中の初詣は意外と人出も多く、神社は焚き火が焚かれて夜店も出て特別な空間でした。
夏祭りとは違って華やかさはないけれど、シンと空気が澄んでいて、厳かな空間がとても神秘的だった記憶があります。
そして、おみくじを引くのも楽しみで、大吉率が高かったのも良い思い出です。
祖父からのお年玉
祖父が住んでいた家はお風呂が無く、近所の銭湯に行っていました。
そこで支払った代金のお釣りの小銭を、金種ごとに分けて瓶の入れ物に貯めていました。
そして、それを年末にお年玉として私と妹に持ってきてくれました。
毎年それが楽しみで、1年分ともなるとかなりの金額になります。
そんな重たい瓶を持ってきてくれるのも大変だったと思います。
そして、それをもらって数えるのも楽しみでした。
今、息子は2年前から毎月のお小遣いを少しづつ貯金しています。
その貯め方は、主に500円玉貯金ですが、お金を使う時にあえて500円玉が残るように支払うようです。
そして月末に残ったお金は全部貯金箱行き。
そして、正月にお年玉をもらった際、その貯金箱も解体し、使う分と貯金する分を自分で決めます。
この貯金箱を解体して数える息子の姿を見ると、昔の私を思い出し、同時に祖父との思い出もよみがえってくる、年末年始でした。
今、コロナ時代になって、当時のような初詣もできなくなり、帰省や親戚との集まりも控えるようになり、寂しいものだなぁとしみじみと感じました。
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