他人軸の自分
色んな不満がたまってくると、私はそれを小出しにできず、自問自答を繰り返すタイプでした。
そんな考えになる私が悪いのではないか?
忍耐がないのではないか?
優しくないのではないか?
良い母・良い妻・良い嫁、色んな役割を求められている気がして、そのどれも出来ていない自分を厳しくジャッジして、自分で自分を追い詰めていました。
でも、その理想像は「自分がこうしたい」というものではなく、
「人から見てどう思われるか」という
他人軸での思考でした。
こうあるべき、こうせねば、という思考で自分を縛っていました。
私は、いつの間にか
「自分がどうしたいか?」
を考えなくなっていたことに気付きました。
そして、そうできなくなったのは夫や姑のせいだと、心の中でずっと思っていたことにも気付いたのです。
姑ブロック
自分のしたいようにしている夫や姑に苛立ち、自分だけが我慢しているような気持ちになっていると、何をしても何をされても満ち足りません。
ですがそう気付いたことろで、やっぱり今までの経験や思考の癖、みたいなものに自分の気持ちが絡め取られていきます。
習慣って怖いです。
自分の気持ちや行動を変えて、人を気にしないようにすれば良いとは分かっていても、
この家にいる限り、私には変わることはできないと思えました。
どう頑張ったって、姑を気にしてしまう。
姑に遠慮してしまう。
怯えてしまう。
姑ブロックが自動的に掛かってしまうのです。
そうなると、
環境を変えるしかない
という結論に達しました。
その考えに行きついてしまってからは、毎日のように家を出ることを考えてしまうようになりました。
娘に聞かれてしまった電話
前に夫の浮気問題があった時に、夫と口を聞いていないことに気付いた姑から何があったか聞かれました。
この時に初めて、「 家を出ていくことを考えてる」と姑に伝えましたが、
姑は私の味方だから、そんなことは考えないでと言いました。
結局は、色々考え浮気のことは私の中で収束したのですが、その後2年近く経ってから娘から驚くことを聞きました。
娘の部屋と姑の部屋が隣で、姑が義妹と電話している話が娘に聞こえてしまったそうです。
その時に姑が電話口で、
「家を出るって言ってたけど、
どうぞ出てってくれって思ったわ」
と言っているのを娘が聞いてしまったのです。
私はそれを聞いた時に、姑が言ったことはどうでも良いのですが、
それを聞いた娘が私にも誰にもそのことを言わずにずっと一人で抱えていたことに、申し訳なさといたたまれない気持ちを感じました。
子供にそんなことを聞かれてしまった。
そして、そのことをずっと一人で抱えさせてしまった。
その娘の気持ちを思うと、何とも言えない気持ちになりました。
このことを聞いてから、私の中でおぼろげにしか考えていなかった別居が現実味を帯びてきました・・・。
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