「そうだ 京都、行こう。」
こんなキャッチコピーが流行りましたが。
私もある日、
「そうだ 別居、しよう。」
と決断しました。
なんか、ポン!っと、決めてしまったのです。
この感覚は初めてのような、ずっと忘れていたような
何とも不思議な感覚で決めてしまいました。
長い間、私は自分の
「したい」
を考えないようにする癖がついていました。
できない、と諦めて何年も過ごしてきたのに、
「別居したい」
を、猛烈に叶えたくなってしまったのです。
先に決めて後から考える
よく、我慢の限界を超えた状態を
「コップに溜まった水が溢れ出た」
と表現されますが、それともちょっと違うような・・・。
ある日、急にドバっとトップスピードで溢れ出た
みたいな感じです。
もう、自分の中で決めちゃった、
みたいな感じです。
そして、私は色んなことを考え始めました。
どうすれば家を出れるか?
お金は?
夫は?
などを考え始めたのはその後です。
「家を出る」
ことを先に決めてから、
後から「どうやって出ようか?」
と考え始めました。
ずっと、別居したい、別居したい・・・と呪文のように考えてはいたものの、何も準備していません。
子供を連れて出る
まずは、子供とは絶対に離れない。
そして夫。
本音を言えば、夫と子供と一緒に家を出たい。
でも、若くして自分の旦那を亡くし、苦労してきた母親を絶対に一人にはできない夫、ということは私も分かっていました。
だから、夫が家を出ることはないだろうと。
と言うことは、私と子供だけで家を出ることになる。
これはなかなかな覚悟が必要です。
ネットでググっても、家族で別居をした人は多くいましたが、
夫と義親を残して別居をする人は、見つけられませんでした。
勿論、そんなことをする知人・友人は周りにも居ません。
誰にも相談することなく決めたものの、 別居を考え直す気も起らない。
私の気持ちはもう、別居に向かってしまっています。
子供に別居したいことを伝える
子供たちに、話しました。
お母さんはこの家を出ようと思ってる。
寂しくさせるし、色々我慢させるかもしれないけど、一緒に来て欲しい。
その時、娘は高校1年生。
息子は中学2年生の終わり頃。もうすぐ受験生となる年でした。
息子が高校生になるまで我慢すれば良かったのでしょうが、それまで待てませんでした。
息子は転校させたくなかったので、通える範囲のところに住む場所を考えました。
息子の学校、娘の高校、位置を考えると隣の町で電車で通いやすい場所。
そう考えてアパート探しを始めました。
2月にアパートを探し始め、3月には引っ越しをしたい。
そう決めてから、ある日夫に話しました・・・
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