言ってしまった後は・・・
言ってしまってスッキリしたかと言われればそんなこともなく、
ただ、私は今まで言いたくても言えないことを、言ってしまった自分に少し驚いていました。
我慢しない。言う。
こんな些細なことがいつの間にか出来なくなっていて、
でも少しだけ、口に出した自分のことを、強くなったような気がしていました。
姑はその日から自分の洗濯ものだけを洗うようになり、洗濯機を使われている間は私たちの洗濯ができない、という不便さはあるものの、特に困りはしませんでした。
乾いた後も畳んでくれなくてもいいと思っていたのですが、何故かそれは畳んで各部屋に置いてくれている・・・。
有難いけど、やってくれなくても良いのに、と思っていました。
私のこの先の人生
そんな生活が続いていましたが、やはり何となく家の中はギクシャクしていました。
姑はしょっちゅう出かけるようになり、やりたいようにやっています。
私が心の中で色々考えていても、夫も何も変わらず生活をしている。
ふと、こんな思いが湧いてきました。
私はずっとこのままなんだろうか?
このままの生活が続いて、歳老いていくだけなのか?
今は子供に手が掛かるけど、大きくなったからと言って私が自由にはなれないのではないだろうか?
子供が結婚して家を出たら、私はこの姑と子供たちの居ない生活をしていかなければいけないんだ。
腹の立つ姑が身体の自由がきかなくなってから、私は自分の自由な時間を謳歌することもなく、いつまで続くか分からない介護生活を送ることになるんだろうか。
今まで直視したくなかった、現実的なことを考えてしまったのです。
こんなこと、分かっていたことです。
何なら、夫の祖父の介護も手伝いながら過ごし、姑のことも面倒みるつもりでいました。
なのに、私はこんな扱いをされていても、この先ずっとこの家に奉仕しないといけないのか?と思ってしまったのです。
別居のことを考える
私は、自分のやりたいことをやれていない。
自分で自分の時間をコントロールできていない。
自分の欲求を叶えることができず、満たされることが無い。
そんなことが続くと、コレしたい・アレしたいと考えることも、思う事も無意識のうちに放棄してしまっていました。
そして、その原因は
「同居しているから」
と私は結論付けています。
勿論、それは「私は」ということであって、同居している人が全てそうではないし、自分を大事にしてこなかったのは、結局は自分自身が選択してきた結果だ、というのも自覚しています。
でも、やはり「同居」していなければ違う自分だっただろうと思った時に、
私の人生はまだまだ先が長いのだから、我慢したくない!
と思いました。
それからと言うもの、私の中で
「もし別居したら・・・」
という考えがムクムクとわいてきました。
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