引っ越し準備
引っ越し日が決まってからは、少ない時間の中で荷造りをしていきました。
勿論、家を出ると決めたのは私なので、引っ越しに際しての色々な手続きや準備は私一人でやります。
引っ越しなんてしたことも無いので、全ての手続きが初めて。
しかも短期間でする手続きは必死過ぎて、何をどうしたのか?思い出せないほどです。
共用していたキッチン用品は、私が購入したものは持って行くことにしました。
ただ、普段使っているので、引っ越し当日まで片付けることができないものもあり、当日も荷物を運んでくれる引っ越し業者の横で、急いで片付けるものも多くありました。
友人たちに伝える
息子は隣町に引っ越すので、電車通学になります。
学校に報告をする際、どうしてもこの学校を卒業したかったので転校は考えず、転校しなくて済むように、子供たちの住民票は卒業まで移動させないことにしました。
そして、通学証明に掛かる書類の作成なども、学校からするとそうそう無いケースですが、スムーズに手続きしてくれ、また隣町から通うことも問題ないと確認できました。
そして子供たちが、友達に引っ越しを話すことを解禁した日。
とにかく驚かれたそうです。
そして、何故か友達の方がショックを受けていたと。
我が家は昔から祭りや行事があると、息子の友達たちが集まる、いわゆる溜まり場みないな家でした。
子供の友達もしょっちゅう泊まりに来たり、ご飯を食べていったり、それを姑も喜んでくれる人だったので、友人・知人からは、家族仲の良い家と言われていました。
なので、ハッキリとした理由を話さないまでも、子供も色々分かる年ごろです。
それを察した友達の方が泣いたりしたそうで、転校するわけじゃないのに、と息子の方が笑い飛ばしてきたくらいでした。
私も地元の親しい友人には報告しましたが、一切理由は言いませんでした。
姑の悪口も言いません。
残る夫や姑のこと、何かあったら助けてやって欲しいとお願いをし、どの友人も力になれることがあったら何でもするから、と多くを聞かずに気遣ってくれました。
きっと、噂はすぐに広まるだろうし、その親しい友人たちの方が色々聞かれると思います。
聞かれても円満別居で離婚しないし、子供も頻繁に遊びに来るから、ということだけ答えてくれればいいから、と話しました。
最後の晩餐
引っ越しの前日、最後にみんなで食べる夕飯。
その日はたまたま、3月3日のひな祭り。
今日が最後という日の姑は、努めて明るく、そして少し優しかったです。
毎年3月3日は、姑がちらし寿司を作ってくれ、ケーキでお祝いをしていました。
姑が作ってくれるちらし寿司は美味しくて、私はちらし寿司が好きではなかったけど、好きになりました。
そう言えば、ひじきも好きでは無かった私。
カキフライも好きでは無かった。
コロッケも好きでは無かった。
でも・・・、姑が作ってくれるご飯は美味しくて、全部好きになっていたな。
鮎の甘露煮、山椒、みょうが、山菜。
結婚してから姑に教えてもらった料理で好きになったもの、多かったな・・・。
なんか、今になって、感謝しちゃうじゃん、
チキショー・・・
その日は最後なので、とにかく普通にしようと思いました。
暗くならないように。
姑も今後のことを子供たちにも話したりしています。
今までみたいには色々やってあげられないけど、いつでも来ていいから、と。
だんだん、思い出話にもなってきて、姑も泣き出しました。
そして私も息子も。
夫は息子と抱き合って泣いていました・・・。
私は夫の涙を今まで見たことがありません。
子供を産んだ時にも、義妹の結婚式でも、祖父の葬儀でも。
きっと、姑が亡くなったら初めて泣く姿を見ることになるんだろうな、と思っていました。
なのにこの日、初めてみた夫の涙。
その光景を思い出すたび、今でも泣けてしまいます。
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