入院中の祖父がとうとう・・・
祖父の最期
息子が産まれてからも祖父の入院生活は続いており、長くなるかもしれないことから、姑は働きながら朝晩病院に寄って帰ってくる生活でした。
私は、二人の子供を見ながら家のことをやっていたので、子供たちを連れてお見舞いに行くのは、大変だったのと病気をもらうかもしれないのとで、時々しか行けませんでした。
そして、年末年始、私は夫と子供たちと実家に帰省していました。
夜中に姑からの電話。
「おじいちゃんが危ないからすぐに帰ってきて!」
すぐに夫を起こし、子供たちは起こさないように車に乗せ帰宅しました。
帰りの途中に連絡があり、病院で亡くなったと・・・。
病院は来なくていいから、家で待機するように言われました。
姑は年末年始は職場が繁忙期だったけど、何となく虫の知らせか、仕事を休んでずっと付き添っていたそうです。
夜中に病院から連絡をもらった時も、すぐに駆け付けることができ、姑だけが最後を看取ることができました。
祖父の子供たちや身内には夜中のうちに電話をし、私たちが家に着いた時には、数軒の親戚が既に集まっていました。
家に戻った祖父を布団に寝かせ、住職に連絡し枕経をお願いしました。
私は経験が無いので、どんな段取りをしたか、紙に書いて忘れないようにしようと思いました。
仏さんの胸に刃物を半紙に包んで置くことや、枕経というもの、神棚は閉める、など。
また、義妹は妊娠中だったので、手鏡を身に着けておく、などの細かいことも書き残しました。
葬儀の準備①
姑は冠婚葬祭の派手な地域である田舎住まいの際に、多くの経験をしているので変な言い方ですが、冠婚葬祭慣れをしていました。
田舎で誰かの不幸があると、村中の人が集まって、その家の人達の代わりに様々な用意を整えるそうです。
お互いにそうするのが当たり前の土地柄でした。
ですが、今住んでいるところは田舎から出てきて違う県。
新興住宅地で自治会の人たちも他地区から寄せ集まった人たちばかりです。
姑は田舎の葬儀の経験から、弔事を仕切るのはご近所の人という習慣があったので、自治会長さんに連絡をし、班の人達の手伝いを依頼・仕切ってもらいました。
今どき葬儀場を使わず自宅で葬儀をすると言うのも、私のは驚きでした。
ご近所付き合いもほとんど無く、しかも正月休みでゆっくりしたいであろう中、我が家の葬儀で数日駆り出されることになり、本当に申し訳ない気持ちでした。
葬儀の手伝いをご近所さんに頼むことを私は心配していましたが、色んな準備や手続きが必要で、その日の夜にお通夜、翌日葬儀とやることはいっぱい。
まわりに気遣う余裕もなく、しかも夜中の臨終なのでみんなが寝不足。
時間だけが慌ただしく過ぎていきます。
私は、実家の宗教も違うので、嫁ぎ先での弔事は初めてのことです。
姑は舅がいない代わりに、姑の義兄を頼って仕切ってもらっていました。
その方は私たち夫婦の仲人親でもあり、弔事の段取りも詳しく慣れていました。
私たちは不幸を迎えてしまった家族なので、悲しみに暮れる中テキパキと動いたりはできません。
ですが、祖父は90歳で大往生。
親戚は葬儀を盛大にやる地域の人ばかり。
姑も本家の長男の嫁として、最後の務めを立派に成し遂げたいと思っています。
私は、言われることは何でもするつもりでいましたが、まだ息子は授乳が必要な子です。
どうしてもほっとけない時間もありましたが、動かないわけにはいかず、必死でした。
正月で親戚もほとんどが帰省中で家にいるタイミングだったので、祖父からすると沢山の孫、ひ孫たちがみんなすぐに揃いました。
悲しみに暮れるというよりは、久々に会う親戚同士ばかりで、ある種お祭り騒ぎのようでした。
葬儀の準備②
自治会長さんにお願いした段取りの中で、火葬場の予約がありました。
死亡診断書が必要で、役場窓口での手続きなど、数枚の書類を見せてもらいながら、説明を受けました。
のちに、これがあるトラブルに繋がります・・・。
私はまず、姑から親戚や近所の人たちの食事の用意や必要なものの買い物を言われ、それに必要なお金を、何故か私が用意しました。
もちろん後から返すから、と言われていましたが、まとまったお金を最初に渡してくれないことに第1のモヤモヤ・・・。
姑も第三者として動くことは慣れていても、当事者になることに慣れているわけではありません。
葬儀屋さんや自治会長、親戚とのやり取りなど、限られた時間での準備でピリピリしていました。
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