・・・続きです
父が救急車?でも、息子の懇談が・・・
仕事中の母の携帯に連絡しても出られなかった為、私の携帯に掛かってきたのですが、
登録してある父の会社名を見て、心臓がドクンとしました。
良くないことだから、私に連絡がくるのは一瞬で理解できます。
「仕事中に脚立に昇って、高所にあるものを取ろうとした際、足を踏み外して転倒したのだと思います。
頭を打ったのか、意識が無かったので救急車を呼びました。」
そう説明されたものの、何を言ったら良いのか咄嗟に言葉が出てこない。
私はその日、息子の三者懇談があり就職受験先を決定する大事な日でした。
数時間後にその順番が回ってくるので、すぐに父のところに向かいたいけど、
息子の将来に関わるこの面談をズラすことはできませんでした。
何故なら成績順に受験先が確定されていくので、上から順番に決めないと次が決められないという学校のシステムになっていたからです。
どうしようか迷いながらも、とにかく母親の会社に連絡を取り、母にすぐに行ってもらうようにしました。
その間にも会社の方から電話があり、意識は戻ったことを聞き、ホッとしたのも束の間。
またしばらくすると検査の結果、
頭蓋骨骨折と、くも膜下出血で入院することになったと連絡がありました。
コロナのバカヤロー
どんな状況か見ていないので想像ばかりが膨らみ、最悪のことまで 考えてしまいます。
私は実家から高速を使って1時間ほどの場所に住んでいますが
妹家族は両親と同じマンションに住んでいます。
母親が動揺しているのに、一人で病院に行かせるのも心配だったので、
妹にも連絡しすぐ帰宅してもらうようにしました。
ただ、このコロナ禍。
付き添いもお見舞いもゾロゾロと何人も出来ません。
母親と会社の人以外は父に会うことができないままでした。
結局、病院からの連絡を待つ入院生活が続きました。
生きていて良かった
父は意識はあるものの、頭を打っているので吐き気があり
何も食べれない、けど吐く。頭痛が続く。
そんな状態が1ヶ月以上続きました。
HCU(高度治療室)というところにいるので付き添いは不要ですが、
着替えを届けるくらいしかできず、担当医の先生と看護師さんに様子を聞くだけでした。
HCUの看護師さんがとても良い方で、父の携帯電話で父の様子を撮影し、教えていた母のラインに動画を送ってくれたりしました。
入院後の父の動画を始めて見た時は、あまりにも変わってしまった様子に泣けてきてしまいました。
顔色は真っ青、覇気のない様子。
痛がる様子。
それでも、看護師さんに促され手を振っている父の姿。
生きていてくれて良かった。
本当にそう思いました。
正月に酷いことを言ってしまったあの日が最後にならなくて良かった。
あのままだったらきっと、私は後悔したまま生きていくことになっただろう、と思いました。
ただ、私は長女でもあるので、仕事ができなくなるであろう今後の父のことや
両親の生活のことを考えなければいけないな、と
いつか来るとは思いながらも考えるのを先延ばしにしていた、
親の介護問題、などが急に目前に表れたような、少し焦る気持ちがしました。
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