嫁姑・同居問題 良い嫁やめて自分の人生を取り戻すブログ

嫁姑・同居問題に悩み病んだ私が『良い嫁をやめる!』と別居を決断。姑の呪縛から逃れ、自分の人生をやり直します

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姑の矛盾

姑から言われていたけど、実際は違うやん!という言動で、何でこうなるんだろうという謎を自分なりに考えてみました。

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自分がされて嫌だったことは嫁にはしたくない

これは100回くらい言われました。
これを言っている本人は、「理解のある心の広い姑」と、自分にうっとりしている感じです。

本音は・・・
「私と同じような思いをして私の気持ちを理解してくれよ」
です。

姑や親戚から、亡くなった夫の父親がいかに素晴らしい人だったか、何度も聞かされました。
亡くなった人の思い出話をする時、みんなの記憶の中で父親という人を美化して話しているなぁと思うところは多々ありました。

亡くなった人の悪口を子供に言うことはあまりないだろうし、思い出されるのも良い思い出です。

夫はどれだけ頑張っても「死んでしまった人には勝てない」と感じていたようです。

そして姑には、そんな素晴らしい人を亡くしても尚、その両親を最期まで見てきた、という自負みたいなものがあります。

姑は親戚達からも、大変な苦労をして乗り越えてきた素晴らしい人、と称されてきたのです。
そして、それが自分の自信となっています。
子育ても成功、嫁としても成功を収めてきたのです。

だから、苦労をしていない嫁の私に、同じような苦労をしてないんだから、私を敬いなさい、みたいな圧をかけるんですよね。

「あんた達には、私の苦労は分からんやろな」とか、
「あんな苦労はあんた達には耐えられんと思う」
とか、よく言われました。

甘えてほしい

これもよく言われました。
ですが、これって抽象的過ぎてどの程度の要求や要望をしていいのか?測りづらいのです。
結婚して同居してから、最初の頃は食事中に「そこのお醤油取って」も言うのに躊躇したくらいです。
甘えるって、何をどうすることなの?とよく分からなかったのです。
ただ、甘えられると嬉しいという気持ちは分からなくもありません。
その「甘えの程度」を測りかねていたのです。

子供の小学校の初めての運動会。
我が家の家族は5人です。私の実家の両親も応援に呼ぶつもりでいましたが、姑は義妹家族も呼び、大人数の応援で「ご一行様」みたいになっていました。
そしてそんな大人数のお弁当をどうしようかと思っていた時、姑から
「お弁当のおかずをコレとアレと・・・にしようと思うんだけど、どう?」
と言われました。
私は「あ~、自分が作るつもりなんだな」と思ったのですが、作ってくれようとしてくれるその好意を有難く思い、義妹たちも来るんだから気を使ってるのもあるかもしれない、とも思いました。
メインのおかずを数品作ってもらうのをお願いし、最大で15人分作った年もありました。姑は、
「孫の運動会のお弁当を作らせてもらえるなんて、幸せなことだわ~」
と何度も言っていたのです。
私は、早起きして大人数分を作るのも大変なのに、作れて嬉しいと言ってくれるなんて、逆に有り難いと思っていました。
なので、私は姑のその好意に
甘えていたのです。

そんなことが何年か続き、義妹たちも自分の子供たちの運動会が同時期に行われるようになりました。
姑は当たり前のように自分もおかずを何品か作って持って行っていました。
そしてある年、私の子供たちの運動会前にこう言われたのです。
「もういい加減私は作らないからね」
と。
えっ???作ってほしいって頼んでませんけど???
ってか、何キレ気味にそんな言い方するわけ?
と、腹が立ちました。

ですが、「私が作るから構わないよ」と言ってその年からは全て自分で作りました。(当たり前のことかもしれませんが・・・)

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ですが、相変わらず義妹たち家族も呼ぼうとする姑に、私はわざと「義妹たちもお昼は食べていくんだよね?」と聞きました。
そんな自分を意地悪で心の狭い人間だと思いましたが、姑は自分から「やってあげたいと思ってやってくれていた」(と私は思っていた)のに、
姑のその言い方に、「無理して作ってあげていた」(と私には思えた)と言いたげな感じが納得いかず、甘えるのはやめよう、頼むことはやめようと思うようになりました。

 

 

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